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山口喜久一郎 (政治家) : ウィキペディア日本語版
山口喜久一郎 (政治家)[やまぐち きくいちろう]

山口 喜久一郎(やまぐち きくいちろう、1897年5月11日 - 1981年5月6日)は日本政治家、第52代衆議院議長(在任期間・1965年12月20日 - 1966年12月3日)。長崎県佐世保市出身(選挙区は和歌山県)。栄典勲一等旭日大綬章佐世保市名誉市民
== 来歴・人物 ==
1915年旧制鹿島中学(現佐賀県立鹿島高等学校)卒業。1920年早稲田大学専門部中退。株式ブローカー、岡崎邦輔秘書を経て、1930年和歌山県議会議員に当選。1937年第20回衆議院議員総選挙に当時の旧和歌山1区から立憲政友会公認で立候補するが落選。同年より県議会議長を2期務めた後、1942年第21回衆議院議員総選挙翼賛選挙)に前回と同じく旧和歌山1区から非推薦で立候補し衆議院議員に初当選。以後11回連続当選を果たす。
戦後は日本自由党の結党に参加し、その後は民主自由党自由党自由民主党に所属した。主に議会運営・国会対策畑で活動した。1949年第3次吉田内閣国務大臣賠償庁長官、大野伴睦の取りなしによる)、保守合同後は1958年第2次岸内閣に国務大臣(行政管理庁長官北海道開発庁長官)として入閣。なお、戸川猪佐武小説吉田学校』に登場する「中井川隆一郎」は、山口がモデルである。
1965年船田中の後任として衆議院議長に就任したが、当時不祥事で問題となっていた、手形割引業者東京大証水野繁彦社長の結婚式で仲人を務めていたことが発覚し、翌年の1966年辞任を余儀なくされた(東京大証社長仲人問題)。1969年第32回衆議院議員総選挙に落選し、引退。秘書として中西啓介が仕えていた。1981年5月6日、83歳にて死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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